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Yumika

July

July Guitar : Masayoshi Nomura、Dance : Yumika Kasahara 2022.6.29 @”Café Le Violon” Asagaya,Tokyo

シャトー・ラトゥール

学生の時に教材で読まされた行きずりの文章が案外長いこと記憶に残っていたりする。 大学の2年か3年の時、英語の担当は小柄で物静かな助教授だった。彼の授業を選んだのは単にスケジュールの都合がよかったからだった。言い訳がさせてもらえるなら、私がいたのは少人数の必修授業が後期まで詰まっていて、30名ほどのクラスからも毎年の進級試験で必ず数名が落とされる慣習の大学だった。当初こそ受けたい授業がいろいろ浮かん […]

淀繩先生の話

小学校の数年間、剣道を習っていた。きちんとした道場ではなく、地元の大人が世話係になって放課後の小学校の体育館に先生を招き、週何度か教えてもらう質素なものだったが、当時70代後半だったと思われる先生の、すっきりと伸びたいかにも清々しい袴姿は、学校の先生など怖いと思っていない生意気な子供にも、文句なしに畏敬を抱かせるものがあった。淀縄先生といい、当時七段だった。 体育館のある小学校の敷地に、先生は確か […]

西山の雲

田畑や海で食糧を得ていた昔の人は身近な自然の姿から天気を読む独自のすべを持っていることがある。父の故郷で、子供のころの父を知っていたもう数少ない親類の一人だった老人は、雷雨になる印を教えてくれた。西山と呼ばれる小高い山に暗い雲がかかったら雨になるのだった。それは不思議なほどよく当たり、空全体が暗くなっても西山の上が明るければ雨は降らない。わかりやすくて便利な知恵だった。 父方の実家は北関東の小さな […]

At the Front

私が最初に勤めたホテルは、古い大劇場のそばにあった。私はフロントの仕事をしていた。200室ほどの小規模なホテルだ。 一泊か二泊、来ては去っていく数えきれないスーツ姿のビジネスマンに混じって、劇場の関係者が一割ほど長期滞在していた。脚本家、演出家、または俳優たちだったようだ。ようだというのは、私たちスタッフはその人たちについて詳しいことを知らされていなかったし、知ろうともしていなかったから。 彼らは […]

ヤスタカ君の思い出

大学の終わりから、4年ほど塾の講師をしていた。田舎ののんびりしたところだ。保護者が英語を気にし始める小学校高学年から高校生までを受け持った。 少子化で学校を統合してしまったので、学区が広い。中学生はほとんどが自転車で通学していた。 部活を終えて塾に来るので、帰りは遅い時間になる。おなかをすかせた彼らのために、キャンディやクッキーを少しばかり用意しておく。疲れてくる頃合いに私がキャンディの籠を持ち出 […]

Piano Bar, 2010

ホテルがクリスマスの飾りつけを始めていた季節、肌寒いその夜も夜勤のアルバイトをしていた。外線の呼び出しに出ると、少し嗄れた男の声が「ハロー」と言った。 習慣で私は微笑みを浮かべて応答した。見えない相手に向かって、そこにカウンターがあって客を前にしているように。 その声は少しだけ意外な言葉を継いだ。仕事を探している。 意外だったことが表れないように、声のトーンを変えずに私は言った。どういったお仕事で […]

Grape Juice

駅前のコンビニに、アルバイトの女の子が入ったらしい。小麦色のはちきれそうな肌、黒い瞳とカールした髪。日本語はほとんど話せないらしく、先輩の女性店員の身振りに目を凝らしている。 やがて先輩店員と交代で、彼女もカウンターに立つ。私が置いた買い物を、唇を引き結んで一つずつレジに通す。お釣りと一緒に、彼女が赤い紙箱を出して私に突き出す。 箱の中の三角くじを一枚取って、時計に気をとられながら私は上の空でそれ […]