小学校の数年間、剣道を習っていた。きちんとした道場ではなく、地元の大人が世話係になって放課後の小学校の体育館に先生を招き、週何度か教えてもらう質素なものだったが、当時70代後半だったと思われる先生の、すっきりと伸びたいかにも清々しい袴姿は、学校の先生など怖いと思っていない生意気な子供にも、文句なしに畏敬を抱かせるものがあった。淀縄先生といい、当時七段だった。
体育館のある小学校の敷地に、先生は確か自転車で通っておられた。普段着姿の先生は、特に目立つこともなく入ってこられるのだが、胴着と袴をつけて立ち上がると、その瞬間に体育館の空気がぴんと張りつめた。夏休みや冬休みには、30代くらいの若い先生が何人か稽古の手伝いに来るのだが、洗い立ての白い道着をつけた淀繩先生には誰も敵わないことを、私たち小さな生徒も良く知っていた。
一緒に習っていた中に、私と同じくらいの学年のA君という兄と弟の二人の少年がいた。学校が違ったので親しく話したことはなかったが、三年生と四年生くらいだったか。二人とも強かった。
一度、先生が皆の前で、この二人に試合をさせたことがあった。どちらが勝ったか忘れたが、二人が離れて一礼し下がった時の、先生が「おう 、痺れるなあ!胸がすくとはこのことだ!」と、感に堪えたように叫んだのを覚えている。自分と人を比べるということのなかった不遜な子供だった私が、初めて、そしてその後もなかったかもしれない、人を羨むという気持ちをもった瞬間だった。
先生は私が小学校を終える頃、急に亡くなってしまった。
先生がいなくなると、剣道を続ける意欲は少し薄らいでしまって、中学校が忙しくなるとともになんとなく竹刀とも疎遠になったが、淀縄先生にあんなふうに褒められてみたいというあの時の気持ちは、形を変えて今も心に残っている。誰が見ても心が高鳴るような、そんなことをやってみたい、そんなものになって先生にいつか見てもらいたいと、ずっと思っている。
June,2013