At the Front

私が最初に勤めたホテルは、古い大劇場のそばにあった。私はフロントの仕事をしていた。200室ほどの小規模なホテルだ。
一泊か二泊、来ては去っていく数えきれないスーツ姿のビジネスマンに混じって、劇場の関係者が一割ほど長期滞在していた。脚本家、演出家、または俳優たちだったようだ。ようだというのは、私たちスタッフはその人たちについて詳しいことを知らされていなかったし、知ろうともしていなかったから。
彼らはそれぞれ決まった部屋に滞在していて、それぞれ決まった時間にロビーを出てゆき、決まった時間に戻ってきた。彼らが目立つことのないよう、私たちはことさらな声掛けを行わなかった。ただ彼らにそれぞれ、必要なアメニティや寝具などを間違いなく 用意しておくことや、好みの状態に部屋を整えておくことや、モーニングコールや電話の接続のしかたやちょっとしたリクエストについて、間違いなく申し渡しを行うことで、私たちは彼らとのコンタクトを取っていた。

彼らの中に、Kさんという年配の役者がいた。彼については特に丁寧に、フロントの先輩から指導があった。少しだけ気難しい方であること。要求はほとんどないが、舞台のない日、夕方6時過ぎにKさんが帰ってきた時に、必ず夕刊を渡すことになっており、それだけは忘れないように。Kさんは(私たちはK様と呼んでいたが)フロントには声をかけずに通り過ぎてしまうから、必ず見逃さずにお渡しするように。
言葉は「お帰りなさいませ」だけで良い。過度な言葉を求められることはな い。 フロントが混んでいて新聞を渡せない時は、無理しなくて良い。そういうことはわかって下さっているから。ただ、手があき次第、お部屋まで新聞を届けてさしあげるように。

私たちは6時が近づくと夕刊を一部、フロントデスクの手元に確保して、Kさんの小柄な姿が現れるのを待った。ほかの俳優もそうだったが、舞台衣装の和服から普段着に着替えて宿に戻ってくるKさんの姿は、一般の宿泊客よりはるかに地味で、影のように静かだった。帽子をかぶり、質素なリュックを背負って、うつむき気味にKさんは通りかかる。私たちの誰かがそれを素早く捉えて「あ、お帰りなさいませ」という言葉と同時に夕刊を差し出すと、Kさんはちょっと笑顔を浮かべて50円玉をくれた(新聞は有料だった。新聞代はは劇場の 持つ宿泊代金には含まれていなかったのだろう)。

私が当直でフロントに立っていた時、Kさんに新聞をサたせなかったことが一度だけある。団体客でフロントはごった返していて、Kさんの姿は認めたが誰も声をかけられなかった。Kさんはせかせかと私たちの前を横切っていった。唇を結んだ横顔は床を見つめていた。
人波が途切れると、私は夕刊を持ってKさんの部屋に向かった。ポケットには先輩が持たせた50円玉が入っていた。Kさんが万一100円玉しか持っていなかった場合のお釣りだ。Kさんは必ずぴったりの50円をくださるけど、ごくたまに、100円玉しかないことがあるから、と先輩は言った。大丈夫、50円玉か100円玉、どちらかは絶対に用意して下さっているから。

Kさんの部屋を訪れるのは初めて だった。恐る恐るドアをノックすると、すぐに明るい応答の声がして、入浴しようとしていたのか肌着になりかけたKさんがにこにこと顔をのぞかせた。遅れたお詫びを言い、夕刊を差し出すと、いいんですよと言ってすぐに小銭入れから50円玉を渡してくれた。いつもの気難しげな影はどこにもなくて、入ったばかりの下っ端の従業員への労いが、やわらかい声の響きにこもっていた。私はそっとドアを閉め、フロントに戻って先輩のレジに新聞代と使わなかったお釣り、2枚の50円玉を返した。

Kさんはその後も毎日フロントを通り、私も何回も夕刊を手渡した。でも、私がそのホテルを辞めるまで、私がKさんとそれ以上親しく言葉を交わすことはなかった。私も先輩たちも、居合わせた支配人も、皆同じように 夕方の挨拶と、50円の夕刊だけをやりとりした。

そのホテルを辞めて1年ほどしてから、同期の仕事仲間と食事をした。職場の様子を尋ねると、「この間誤発報があって」と、彼女が話し出した。
火災警報が火災以外でなってしまうことを誤発報と言う。ホテルでは、バスルームの湯気や禁煙室で喫煙された場合などに、どうしても時々起こってしまう。大抵の場合は数分以内に原因がわかって館内アナウンスを行い、宿泊客を安心させることができるが、その時はなかなか原因がわからず、一旦ロビーにお客を誘導する騒ぎになったという。
深夜0時過ぎのことで、お客は部屋着にスリッパのまま、殺気立っていた。煙も火も見当たらなかったが、誤報の原因となるものが特定できなければ宿泊客を部屋に 帰すことができない。人々は苛立ってスタッフや支配人に詰め寄った。危険なのではないのか、いつまでここにこうして待たせるのかと怒鳴り始めた。フロントと支配人が懸命にそれをなだめ、確認を急ごうとしていたが、恐怖心にかられた宿泊客はパニックになりかけていた。
その時、怒号を裂いて、凛とした声が響いた。Kさんだった。
寝間着姿のKさんの小柄な姿が、人ごみの中に浮き上がった。Kさんはきっと顔を上げ、一喝した。「静かになさい。火が出ていたら、とっくに煙がここにも来ている。こんなふうにしていられるものか。すぐに収まる、落ち着きなさい」
怒鳴っていた数名は気圧されて黙り込んだ。Kさんはすっと踵を返すと、静かにロビーの隅に消えていった。
間もなくして報知器の 誤作動の原因が特定された。宿泊客は黙って部屋に戻っていった。Kさんの姿も、いつの間にかなくなっていた。

元同僚に相槌を打ちながら、私の目にはロビーに立つKさんの姿がありありと浮かんだ。下積みを重ね、決して舞台の中央に立つことはなかった、そしてこれからもないかもしれないKさんの、鍛え抜かれた役者の声を、私は思い浮かべた。私の想像の中で、Kさんのきりりとした衣装姿が板張りの舞台を踏みしめるのが、何度も見たもののように像を結んだ。

 

 

October, 2013

 

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