Piano Bar, 2010

ホテルがクリスマスの飾りつけを始めていた季節、肌寒いその夜も夜勤のアルバイトをしていた。外線の呼び出しに出ると、少し嗄れた男の声が「ハロー」と言った。
習慣で私は微笑みを浮かべて応答した。見えない相手に向かって、そこにカウンターがあって客を前にしているように。
その声は少しだけ意外な言葉を継いだ。仕事を探している。

意外だったことが表れないように、声のトーンを変えずに私は言った。どういったお仕事でしょうか、実はもう人事課が閉まっているので、よろしければ明日にでも・・・
電話の向こうの男は一瞬黙って、それから言った。
僕は、ピアニストだ。おたくのバーでは、ジャズのライブをやってるだろう?僕はピアノが弾ける、おたくのバーで、ピアノ弾き はいらないか。

ホテルの1階にはバーがあって、そこでは毎週金曜にジャズライブが行われた。長年続くライブで、欠かさず通うファンもいたし、それを楽しみに宿泊予約を取る人もいた。金曜の出勤時に通りかかると、バーの入口にはライブ開催を知らせる看板が出されて、バーの古くて重いドアから漏れる明かりは、何年も何十年もそこに通い詰める人々やミュージシャンのそれぞれの期待と緊張そのもののように見えた。

日本語も話せない人物が、夜の10時過ぎにホテルの代表電話にかけてきたのは、バーの支配人と交渉するつもりだったからなのだと納得しながら、私は手元の電話帳を繰った。ライブのミュージシャンは、当ホテルで採用しているわけではないのです。ミュージシャンの派遣を任 せている事務所があって・・・その電話番号をご案内します。書き取れますか?
オーケー、と彼は言った。わかった、大丈夫だよ。
私が伝える電話番号を書き取る気配がした。私の頭に、大柄な外国人が背中を丸めながら、不器用そうにボールペンを動かす姿がなんとなく浮かんだ。住み慣れない日本の小さな集合住宅の、蛍光灯と狭いテーブル。ピアノはどこで練習するんだろうな。

ありがとう、と男の声がした。明日かけてみます。グッドナイト、ミス。
どういたしまして。グッドナイト、サー。

 

 

December, 2013

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